Doubtful bird's Tumblr
人間は階級が自分の器に達したときにエバり始める。課長でエバる奴は課長の器。部長でエバる奴は部長が限界。社長でエバっていない奴は、さらにその会社をデカくしようという野望を持っている。しかし、たいていの人間が小さな権力を振り回したがる。ヒラの器な奴が課長になると無茶苦茶尊大になる。

保育園のころ、魔法を使える先生がいた。

その人のことを、ここでは「まこ先生」としよう。30代前半で、職場では中堅のスタッフとして活躍していた。もちろん当時の私はあまりにも幼く、先生たちの年齢をきちんと把握していたわけではない。「若い先生/大人な先生/おばあちゃん先生」……それくらいザックリした認識しかできなかった。子供ながらに「まこ先生は頼りがいのある大人の先生だ」と思っていた。

まこ先生は、私が5歳のときの担任だ。

私が通っていたのは公立の保育園だ。高所得家庭の子供だけが集まる(?)私立保育園ならいざ知らず、様々な境遇の親たちが子供を預けていた。

とくに私の学年には、近隣の悪ガキどもが集結していた。暴れる、噛み付く、ひっかくのは当たり前。おもちゃはすぐに壊され、床や壁は汚される。みごとに手のかかる子供ばかりだった。すり傷やたんこぶは日常茶飯事だったし、親たちもいちいち目くじらを立てなかった。最近の保育園ではどんなに小さな怪我も許されないと聞いている。それに比べれば、なんというか、おおらかな時代だったのだろう。

私たちは3歳~4歳のときに数々の伝説を作り、悪評を確かなものにしていた。そして、そろって5歳児クラスに進級した。そこで出会ったのが、まこ先生だった。

その保育園は2人担任制だった。まこ先生のほかにもう1人、とても若い先生──ここでは「きく先生」としよう──が、私たちのクラスを担任していた。さらに時々、見覚えのない先生が来ていた。たぶんパートタイムの保育士を雇っていたのだろう。まこ先生ときく先生の2人の正規職員+パートタイムの計3人で、最凶の悪ガキ集団を迎え撃ったのだ。



きく先生は、子供からあまり好かれていなかった。

決まりごとに厳格で、ルール違反を絶対に見逃さなかった。たとえばお昼寝の時間。横にならない子供が1人でもいると、烈火の如く怒った。眠気があろうとなかろうと、子供たちを片っ端から布団に叩き込んでいた。私は昼間に眠くならない子供だったので、きく先生に監視されているお昼寝の時間がひたすら苦痛だった。

たとえばお散歩に出かけるとき、給食を食べるとき、そして読み聞かせをするとき。そんなときは、子供を1カ所に集めなければいけない。大人の言うことを聞かせなければいけない。ルールに厳格なきく先生は、きっと、号令1つで子供が動くのを理想としていた。「集まりなさい!」と命令すれば、子供たちが遊びをパッとやめて駆け寄ってくる。彼女はそういう状況を求めていた。

しかし私たちは悪ガキ様ご一行だ。そんなこと、できるわけがない。

言うことを聞かない私たちに対して、きく先生はヒステリックに怒鳴るだけだった。「集まりなさい!」「遊びをやめなさい!」「こっちに来なさい!」そして「言うことを聞きなさい!」……まこ先生が休んだときは、きく先生の怒声が教室に響くのだ。やがて子供たちも慣れてきて、きく先生の言葉を聞き流すようになった。「はいはい、集まればいいんでしょ?」みたいな斜に構えた態度を取るようになった。子供とはいえ、5歳にもなれば「話を聞くふり」ができるようになる。心の中では相手をバカにしているのに、態度だけ取り繕うことができるようになる。



まこ先生は違った。

たとえば子供を集めるとき。まず右手の指を3本、左手を2本伸ばして、胸のまえに突き出す。そして「あわせて、いくつだ!?」と近くの子供に聞く。相手はぽかんとしながら、「5つ?」と答える。「正解! それじゃ次は……」と、また違う組み合わせの指を差し出す。遠くから見ていた子供たちが(何か面白そうなことをしているぞ?)と気づいて、まこ先生の周りに集まってくる。

そして3分後には、クラス全員がまこ先生の前に集まって、われ先に「指の数クイズ」に答えようとしているのだ。

指の数を当てさせるだけではない。ある時は、なぞなぞを駆使していた。

「暗くって、暗くって…暗ぁ~いモノは、な~んだ!」

まずはかんたんな問題から。まこ先生の近くにいる数人が、声を揃えて「夜~!」と答える。

「正解! それじゃ次は……白くって、冷たくって、甘ぁ~いモノは、な~んだ!」

これもかんたんな問題。子供たちは大声で「アイスクリーム!」と答える。遠巻きに眺めていた子供も、(なんだか楽しそうだぞ)と近寄ってくる。

「次の問題は、ちょっぴり難しいよ~?」

もったいぶった口調で、まこ先生は言う。

「高くって、高くって、高~いモノは、な~んだ!」

「天井!」「屋根!」「うんてい!」

子供たちは口々に、自分の知っている「高いもの」の名前を上げる。

「ううん、もっともっと高いものだよ?」

遠くのほうで遊びに夢中だった子供たちか(まこ先生が何かしてる)と気づく。次々に集まってくる。

「えっと~、サンシャイン!」「東京タワー!」「富士山!」

子供たちは夢中になって、矢継ぎ早に答えを口にする。まこ先生は首をふる。

「いいえ違います!もっともっと、も~っと高いもの!」

いつの間にか、クラス全員がまこ先生の周りに集まっている。

そして声を揃えて、「「空!」」と叫ぶ。

「はい、正解です!」

まこ先生はニコッと笑う。

「それでは空を見に、みんなでお散歩に行きましょう!」


これは一例にすぎない。まこ先生はありとあらゆる手段を使い、悪ガキ連中を意のままに操っていた。優しいばかりではなく、イタズラをしたときは厳しく叱られた。私も何度かげんこつを落とされた覚えがある。それでも、まこ先生がヒステリックに怒鳴ることはなかった。

子供の主体性を引き出して、自発的に大人の言うことを聞かせる。

まこ先生の技術はまるで魔法だった。



     ◆



先日、まこ先生は長年務めた保育園をやめた。

定年よりも少しだけ早い退職だった。まこ先生いわく、体力が衰えたからだという。子供の抱っこがつらくなったから、もう保育士は続けられないと判断したそうだ。園長や役所の管理職を目指すのではなく、まこ先生は最後まで保育の現場に立ち続けた。

まこ先生のかつての教え子や、その親たちが集まって、ささやかな「お疲れさま会」を開くことになった。

私も同席した。20年ぶりに再会したまこ先生は、記憶のなかの姿よりもずっと小さかった。目尻や口もとには年相応のしわが刻まれて、「お酒は医者に止められているから」とウーロン茶しか飲まなかった。まこ先生はすっかり「おばあちゃん先生」になっていた。



きく先生が苦手だったこと。まこ先生はまるで魔法使いだったこと。

私がそんなことを話すと、まこ先生は控えめに笑った。

「きく先生だって、悪い先生じゃなかったのよ?」

ウーロン茶で口を湿らせて、まこ先生は続けた。

「たしかに、ちょっとマジメすぎる部分はあったけれど……でも、保育に対する情熱は私と変わらなかった。もしかしたら、情熱は私よりも強かったかもしれないわね。少なくとも『話を聞く子を育てたい』という目標は同じだった」

表面的な態度を取り繕うのではなく、心から大人の言うことを聞く子供。大人が与える言葉や知識を、すんなりと飲み込める子供。そういう子供でなければ、小学校に上がってから苦労する。幼児教育においても「保育目標」が設定されていて、子供たちを一定の水準まで育てあげる義務があるという。

「大人の命令を聞くという意味じゃないわよ」まこ先生は念を押した。「先生や親の授ける知識をスッと受け止めて、自分の頭で判断できるようになる。そのためには、大人の話をきちんと聞く子供でなくちゃいけない。私たち保育士がそういう子供を育てられなければ、その子の一生が滅茶苦茶になっちゃうわ」

責任の重たい仕事だったわね、まこ先生はしんみりと言った。

「だけど、ばつぐんに面白い仕事だった」

私は食い下がった。

「そうは言っても……やっぱり、きく先生のやり方がいいやり方だったとは思えません。子供たちはみんな、きく先生の話を聞く“ふり”をしていました。まこ先生のおっしゃる『目標』とは真逆ではありませんか?」

「そうね」

まこ先生は目を伏せる。

「気づいてほしかったけれど……。きく先生は気づいてなかったのかもしれないわね」

「気づくって、何に?」

子供は考えるのが好きだってことに」

昔のように、まこ先生はニコッと笑った。



指の数クイズも、なぞなぞも、まこ先生の技術は「子供に考えさせる」のが土台になっていた。「考える遊び」を駆使して、まこ先生は悪ガキどもに言うことを聞かせていた。

子供の「考える力」には個人差がある。

なかには頭の回転が速い子供がいる。言葉が達者で、口から先に生まれてきたような子供がいる。その一方で、ぼんやりしていて、何をするにもワンテンポ遅れてしまう子供がいる。けれど、どんな性格をしていようと子供は考えるのが好きだ。まこ先生は、そう言った。どんなにおっとりした子でも、その子なりに「自分で考える」のは楽しいのだ。頭を使うのはよろこびなのだ。

「だから、まったく考える余地を与えなければ、子供は言うことを聞かなくなる。表面的に取り繕うだけになってしまうの。反対に、ちゃんと考えさせれば、子供はきちんと言うことを聞く」

そして自分で考えた結果が「上手くいった」と経験するのが楽しい。1~2歳なら、パンツを自分で履けた。靴下がうまく履けた。そんな小さな成功が、子供は嬉しい。だから子供が何かに初めて成功してたとき、大人がきちんと褒めるのが大切だという。

「なるほど! 子供は褒めて育てるのが正解なんですね!」

「そうは言っても、褒めすぎもよくないのよ?」

「だけど…頭ごなしに怒鳴るよりもいいですよね!」

「怒鳴りたくなることぐらいあるわよ。人間だもの」

40年近く子供と向き合ってきた人は、考え方の“厚さ”が違った。

「すごい、すごいと何をしても褒める親がいるけれど……褒めすぎると、今度は『すごい』と言われないと不安な子供に育ってしまうの。トイレに行っただけで『すごい?』と親に訊く。靴を履けただけで『すごい?』と承認を求める。できて当たり前のことを褒めるのは、子供にとってプラスにならないと思うわよ」

まこ先生は言葉を区切った。

「それから、今の親たちは忙しいでしょう。朝から晩まで働いて、くたくたに疲れて帰宅する。なのに子供はタダをこねて、まったく言うことを聞かない。そんなとき、怒鳴るなというほうが無理でしょう。どんなときでも笑顔を絶やさないのは、超人的なお母さんにしかできないわ。大人だって怒ることもあれば、キレることもあって当然。人間なんだから」

私はおずおずと答えた。

「そうは言っても……子供に対してムキになって怒るのは、やっぱりよくないことだと思います」

「そうね。子供の扱いに慣れていたら、怒らないで済むかもしれないわね。大人がカッとなるのは、子供に言うことを聞かせる方法が分からないからだと思うの。どうしても子供が言うことを聞かないから、どうすればいいか分からなくなって……それで頭に血が昇るんじゃないかしら」

「つまり、子供に慣れるのが大事ってことですか」

「そう、今の親たちは子供に接する機会に乏しい。人によっては、自分の子供ができるまで、まったく子供の面倒を見ずに大人になる」

だから子供の扱い方が分からない。

「たとえば、何を褒めるべきで何を褒めなくていいのかのさじ加減とか、疲れ切っているときでもキレずに済ませる方法とか、そういうものは子供と接してみないと分からない。子供と向き合った時間が長ければ長いほど、子供がどういう生き物なのか分かってくる。そして、うまく子育てができるようになる。私はそう思うわ。……ところで、あなたは結婚していなかったわね。あなたの身近に子供はいるかしら?」

「はい、姪っ子たちと……あとは子持ちの友人が何人かいます」

「だったら、その子たちとできるだけたくさん会っておくといいわね。あなたの知らないことを、子供はたくさん教えてくれるはずよ」

「そうすれば、私にも魔法が使えるようになるでしょうか?」

「魔法?」

まこ先生は首をふる。

「そんな大それたものじゃないわ、私は自分にできることをしていただけよ。私には保育ぐらいしか、できることが無かったから」

仏陀の言葉にすら依存しない

君が川を渡るためにイカダを作って、川を渡った後でこう考えたとしてみよう

「このイカダはとても役に立ったから捨てずに背負って歩いてゆこう」と

そんなお荷物を抱え込んでてしまっては、重くてまともに歩けはしなくなる

それが君の業績・学歴・職歴であれ、このイカダと同じ事

私の言葉も教えも真理すらもまた、このイカダのようなものにすぎないのだから

君が私の教えを使い終わったのなら、惜しむ事無く捨て去るように

157  ワルサーWA2000(新潟県) :2010/07/19(月) 23:12:32.77 ID:TtXjabo/

普通学級でやってけない知能程度の子供はな
簡単な算数の計算もできないんだよ
「1000円持ってスーパーに買物に行きました。300円と400円のおかしを買いました。
お釣りはいくらでしょう?」

引き算が出来ないんじゃない。買い物という概念が理解できない
そういう子も親が死んだら自立しなきゃいけない
根気づよく買い物の仕方や貨幣の価値を教えたり
自分で身の回りのことができるようにミシンかけや他人との距離のとり方、
人前では挙動不審にならないようになどを教えるのが特別支援学校

普通学級なんぞ通っても絶対不幸になるだけ。

266  洋菓子製造技能士(新潟県) :2010/07/19(月) 23:41:15.46 ID:/VVRkmRU
»157
結局この考え方が一番正しい。

暗黙のルールとか根気よく粘り強く教えるのが
その子にとって一番いい。

英語とか数学とかさぁ教えてもなんの意味もない。

夢とか糞食らえだ。
「先生は女性が社会に出て仕事をすることを、どう思われますか?」
「どうも思わないね。そもそも、男女平等と職業とは無関係だ。つまり、男と対等になるために、仕事をするためにナンセンスだと思う。それでは仕事をしているものが偉いという、馬鹿な男が考えた言い訳を認めることになる。いいかい、仕事をしていても、遊んでいても、人間は平等だ。問題をすり替えてはいけない。」
(詩的私的ジャック P.72)

君の夢僕の思考 森博嗣-風味絶佳な日々―読書日記― (via dorayaki) (via rarihoma) (via rei8412) (via johnnys) (via mitukiii)

2010-05-24

(via mmtkk) (via mitukiii) (via ibi-s)

2012-01-03

(via mmtki) (via non117) (via tetsujin28mm)

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タモリ「ものを知っているとか、知らないとか、教養があるとか、もう関係ないんですよ。教養なんていうのは、あれはあってもなくてもいい。あれば大人のおもちゃなんだから。あれば楽しみが、遊びが増えるだけの話。持ってたからってたいしたことない。ただ、遊び道具いっぱい持ってるっていうだけの話。」
2009-10-05 - ◆ mkb : foto & more (via ahoahoman) (via bacars) (via tscp) (via kml) (via hexe) (via 20121222volt) (via tooola) (via fishandmush) (via sander786) (via tagkaz) (via boosted) (via hibiky) (via yellowblog, ahoahoahoman) (via ishizue) (via skamio) (via kiri2) (via ninamo44) (via takehiroyoshimura) (via bochinohito) (via k-angie) (via chihira-masamichi) (via odak66) (via mekarauroko) (via shibats) (via koris1974) (via miki7500) (via precall) (via bo-rude) (via bgnori) (via yukiminagawa) (via dokuroou) (via giraffe-patterns) (via pcphr) (via jpegirl) (via deli-hell-me) (via non117) (via kirisaki) (via vevev) (via takeori) (via yokokick) (via mnak)
前から言ってるんだが、少子化の原因なんて一言で言い表せる。「フルタイムで働いていたら子育てなんかできないが、フルタイムで働いた賃金がないと子育てなんかできない。」
「もっと寝ていたい」という欲求に「この仕事を成功させたい」という欲求が勝つかっていうと、そんなことはないです。
「いいものを作るには金がかかる」という話をすると「工夫でどうにかなる」とか言う人が居るが、金使ってるやつらが頭を使ってないとでも思っているんだろうか。
あなたは未だにアップルのような企業を日本でも云々言ってるんですか。いい加減セイコークォーツが米国の時計会社を全滅させた歴史でもググってください。
Twitter / _Neillo_ (via chptr22)
「銀行預金」をやめて、「銀行貸付金」にしろ。

預金は銀行への貸し出しだ。なぜならその勝手な運用が許可されているから。

だから金利がつくのだ。

銀行商売は人から借りた金を運用するから儲かるのだ。

銀行は貸してもらっているから、その見返りに、貸してくれてありがとうというのが預金金利だ。

金利がつかない、1000万以上返さない、というのはオマエのカネを返してやらない、全部よこせ、かしてもらったお礼もなし

ということなのだ。暴力団以上である。

全く頭の中が逆転しているのだ。だから、取り付け騒ぎが銀行崩壊の内容だろ

こんな当たり前のことをなぜ学校で教えない?

だから話がみな逆になって、金利は「もらうもの」になっている。

アホか!貸してやってるから当然儲けの一部をよこせ、ということなのだ。

今の低金利は明らかに銀行が権力を持っているから返してやらんぞ、となってとるだけとってやるとなって

経済が衰退しているのだ。今の技術開発はものすごい。それに貸さないから銀行は儲からないのだ。

百姓からとるだけとって、百姓に返さない、それで貧困か循環が起きる。武士の野放図さによる江戸経済衰退と全く同じ

本当に仕事ができる人というのは、一見すると何も仕事をしていないように見えるのかもしれない。

できるほど透明になる
最近、ベテランの医事課のスタッフが一人、退職された。

「適当にやっておいて下さい」が通用した、数少ない人だった。

何か特別な資格を持っているとか、ものすごく大きなプロジェクトを成功させたとか、そういう武勇伝みたいなものはなんにも無くて、淡々と医療事務をこなすだけの人。

でもすごい。仕事が快適。

事務仕事というのは複雑怪奇で、医者をやっている側からすればできれば近寄りたくない。

ああしたい、こうしたいという思いが医療者側にあっても、行政側にはその制度が無いとか、それをやるためにはなにか特別な申請が必要とか。医療事務は、そのあたりをすり合わせる能力が問われる。

医療と行政。

2つの世界の「橋渡し」をする仕事というのは、それが上手な人であればあるほど、その人の存在が透明になっていく。

「ああ」したいとか「こう」したいとか、医療者側があいまいな概念を放り投げても、上手な事務方は、それを行政に伝わるように言語化してしまう。あんまりスムーズだから、医事なんかいないように仕事がすすむ。

上手でない事務方が間に入ると、その人の「活躍」が、嫌でも目に入る。

あいまいな言葉を放り投げても、「具体的に、どうすればいいんですか?」なんて返事が返ってきたり、行政からの返答も、こちらの意図とは微妙に異なってみたり。

概念の言語化や、行政サイドとの折衝。

こういう仕事は、お願いする側からもよく見える。「この人、使えねぇな」と思うよりは、「この人は仕事ができる人なんだな」とか、誤解しやすい。

本当に上手な人は、このあたりの「仕事」が、ごくわずかしか存在しない。医者からすると、「ほら、俺の言ったとおりになっただろ」という気分になるから、快適なんだけれど、その人の活躍は感覚しにくい。

乱暴な人は評価される
一時期評判になった、病院再建のプロ。

あの人の「再建戦略というのは非常に簡単。とにかく急患を受け入れて、病院の窓口をきれいに改築して、職員の給料を引き下げて…といったもの。

どこの病院にいっても、やりかたはだいたい同じ。

現場は大混乱。その人の「仕事」ぶりというのは嫌でも感覚される。「使用前、使用後」の違和感がものすごいから、その人はたしかに大活躍しているように見える。

実際には、その人が去ったあとの病院は、もう悲惨なことになっているらしいけれど。

「病院をなんとなく改革したい」という、病院経営者のあいまいな概念と、再建請負人が実際に施行する、現場を変える様々な戦略。

あいまいな概念を単純化して考えるとき、そこに情報の欠落が生じる。本来は不都合な欠落。ところが、依頼人に感覚される仕事の量というのは、たぶんこの欠落の大きさに比例する。

本当に上手な再建人がいるとしたら、その人が現場にはいっても、一見何も変わらないように見えるはず。再建人の考えかたは、ウィルスのように感染する。中の人も気がつかないうちに、現場の空気はだんだんと変わり、業績が上がる。そんなふうに「効果」が現れる。

現場はきっと、「その人がいなくても、自分達だけでも同じことがやれた」と錯覚する。再建人に依頼した県の役人も、たぶん「わざわざその人を呼ばなくても、現場が変わるのは時間の問題だった」と総括するだろう。

認知的複雑性の定量化
あいまいで複雑な概念を、単純化しないでそのまま処理する力というのは、こんなふうに評価が表に出てこない。

退職してしまった事務の方も、たぶんその人の優秀さみたいなものは分かりにくくて、たとえば転職するにしても、その力を分かってくれる施設は少ないのかもしれない。

たぶん、ある種の職業では、本当に優秀な人というのは空気みたいな存在で、あんまり目立たなかったりするのだろう。

今流行の成果主義なんかは、こうした人の「凄さ」を発揮する場を奪い、組織内の空気がますます殺伐としたものになっていく。

会社や組織、個人といった機能単位には、「複雑なものを複雑なまま処理する能力」というパラメーターがあって、それは、中の人には評価ができない。

それを評価するのには、組織の外にあって、集合知の力を借りることができる存在でないと、無理。

株式相場というのはたぶんそのひとつ。

投資家という職業に何か社会的な役割を求めるとしたら、こうした外からは見えにくい、「分かりにくいけれど結果を出す」能力や存在を可視化するという部分なんだと思う。

プログラマーで投資家のDan さんが以前、たぶん同じことを書いていた気がするけれど、会社ごとの評価単位を個人のレベルにまで解体して、こうした能力に正しく価値を付加して、「頑張っている人が正当に評価される」社会を作ろうなんて思ったら、たぶんこういう人があと10万人、日本で実働している医者の数と同じぐらいは絶対必要。

ところが、誰かの能力を査定するには、査定者にはその人以上の能力がいる。

memo-memo-blog2:

ぼやきくっくり | グアムの交番にハングル表記(撤去済み) 

Will2014年7月号(今月号)に、グアムのハングル看板(表示板)をテーマにした記事がありました

 筆者は、ケン芳賀さんという東京都出身の日本人男性です。
 
 芳賀さんは、20代でニューヨークに渡られ、演劇の世界へ。
 その後、グアムに移住され、現在は、出版社と広告代理業、そして戦跡巡りツアーやトレッキングを主宰する会社の社長を務めておられます。

 さて、芳賀さんの記事から、そのグアムのハングル看板について書かれた箇所を要約して紹介しますと……
……つい先月、とあるから今年4月でしょうか、あるいは3月でしょうか。

 芳賀さんのオフィスの真向かいの交差点の交番壁面いっぱいに、突如として「タモン交番」と書かれた大きなハングル文字の看板が掲げられたそうです。
 念のため私のほうでもネットを調べてみましたら、グアム在住の個人ブログさんのほか、K-POPグループのグアム・ロケの動画でも、その存在が確認できました。
youtube 

140426 틴탑의 네버스탑 인 괌 #3 [HD]

31:05あたりから。

 星条旗の下にハングルって、すごい違和感…(T_T)


 \(^^\)話戻して、芳賀さんの記事の続き。

 芳賀さんは初めは韓国の観光客向けかと思いましたが、それでは来島者数が圧倒的に多い日本人用の日本語表記がないのはおかしい。

 芳賀さんが調べてみると、地元韓国人が取り付けたことが分かりました。
 地元でレンタカーを経営している韓国人オーナーが寄贈したものでした。

 憤慨した在留邦人が交番に問い合わせたら、「金を出せば日本語も表記してやる」との返事。
 米国領内の彼らには、国際間のやりとりも銭金の問題でしかないのです。

 これがそのまま放置されてクレームがつかないと、違和感がなくなり定着してしまいます。

 芳賀さんの脳裏には、カリフォルニア州グランデール市の慰安婦像のことが浮かんだそうです。

 芳賀さんは直ぐに署名運動を始めました。

 地元だけでなく観光客も含め、300名ほどを目安にして、それをそのまま地元の日本国総領事館へ持ち込むことにしました。
 総領事館から関係者へ直接抗議してもらう計画です。

 また、グアム政府の議員で観光局を司る知り合いの議員にも意見を聞いてみたそうです。

 実はグアムの議員は無責任なことに、観光業界の実態も来場者数や国別の割合すら知らない。
 島の総予算の75%近くが観光で成り立っていること、その来島者の80%以上が日本人であることも知らない。

 まさに彼らは「木を見て森を見ず」で、ハングル看板がどういうトラブルを引き起こすか、といったことに考えが及ばないのだそうです。

 また、芳賀さんはそれまでの経験(具体的には、昨年6月のグアムでの戦没者慰霊祭に対する領事館の対応。WiLL7月号を参照)から、領事館がはたして解決できるのだろうか?という不安も抱えていました。

 そこで、芳賀さんはハングル看板の証拠写真を持って、レイ・テノリオ副知事に抗議してみました。

主に応対をしたのは、副知事の秘書である韓国系の男性
 その秘書は、開口一番、こう言ったそうです。

 「日本企業が喜捨(寄附)すればもっと大きな文字を表示できますよ」

 いわば『金が物を言う』ことを暗に提案してきたのです。

 「そう言うが、貴方はあの交番もあのパトカーも誰が寄贈したか知っていますか?日本企業ですよ

 と芳賀さんが返すと、その韓国系の秘書は意外な顔をしたそうです。

 これは私も、今これをお読みの多くの読者様も初耳だと思いますが、これまで在グアム島日本企業は、観光客で賑わうタムニング地区に交番を3つ、それからパトカーも数台、寄贈しているそうです。

ただ、交番には寄贈者の名を記したものはありません。
 日本人は公共への奉仕を露骨に表に出さない美質があるからです。

 「そういう事情も知らずにあれだけ大きな表示をしたので、不愉快で仕方ない。なぜそれを許すのか、その理由を知りたい」

 と芳賀さんが質すと、韓国系の秘書は、「韓国のツーリストを意識して」だと答えました。

そこで来島者数と各国の割合を質しましたが、彼は答えられない。

 今年2月13日現在の来島者数12万2712人のうち、日本人は8万5993人、韓国人は1万8979人で、15%にも満たない。

 
そのことを芳賀さんは彼に教えました。

 そして同行していた地元のチャモロ人が、クラスメイトだったというレイ・テノリオ副知事にこう言いました。

 「あれだけ大きなコーリアンサインを出すから、日本人ツーリストがみな嫌な顔をしている。正直、我々グアム人にとって日本のツーリストはもっとも大切な国の友人であり、彼らのマナーは我々にいい意味で影響を与えている。あの表示板はそういう彼らを深く傷つけていることになるのだが、貴方にはそれがわからないのか」

 現地人のほうが厳しいのです。

 ハングル看板を即座に外してほしいという芳賀さんらの要望に対し、副知事は、「数日の猶予をくれ。関係機関と相談してみる」と答えました。

 そのまま芳賀さんが仕事場に戻ると、何と、ものの1時間も経たない間に副知事から電話が来ました。

そして、「交番を見てご覧」と言う。

 見ると、すでにハングルの表示板はきれいに取り払われていたそうです。

なぜこんなにスピーディな対応が取られたのか?
 「副知事は日本人の人柄をよく知る人だったから、英断できたのかもしれない」と、芳賀さんは推察しています。

 ちなみにレイ・テノリオ副知事は、2011年10月に来日、岩手県・宮城県を表敬訪問し、日本人会が中心となりグアムで集めた東日本大震災の義援金を贈呈しています。

 もちろん、これをもって彼を親日家であると判断することはできないでしょうが…。

 この話には後日談があります。

 ハングル表示が消えて一安心した芳賀さんに対し、親しい韓国人が、こんなゾッとすることを言ったそうです。

 「あれをあのまま放置していたら慰安婦の碑が建っていただろう。(地元日本人の)反応を見るために、あんな大きなハングル文字を表示したのだからね」

 私はグアムに行ったこともなければ事情に明るいわけでもありませんが、ネットを調べた限りでは、グアムにハングルの看板はたくさんあり、それもここ何年かで急激に増えているようです。

 但し、それは韓国人がオーナーを務める店舗やホテルなどであり、今回の交番のような公共の建物ではありません。

 グアム島の国別人口比率を調べてみたところ、チャモロ人が約45%、フィリピン人が約35%、白人が10%、その他(日本人・韓国人など)が10%を占めています(こちら参照。何年のデータなのかは不明)。

 「その他10%」のうち、日本人と韓国人がそれぞれどのぐらいの比率なのかは分かりませんが、近年、欧米における韓国系の反日工作の勢いは凄まじいものがあります。

 芳賀さんたちが今回の交番の件で動いてくれていなければ、グアムの韓国系の人々は本当に慰安婦の碑の建立を企てていたのではないか。

 さらに言えば、彼らは今もそれを諦めてはいないのではないかと私には思えてなりません。

 以下、慰安婦問題をはじめとする歴史認識について、海外在住ならではの芳賀さんのお言葉です。
 日本国内に住む私たちは肝に銘じるべきだと思いますので、そのまま引用させていただきます。

 「海外に居住する日本人、日系人にとって、日本国内で市民たちの意思の統一がなされていないことが一番面倒で厄介なこととなっている。国家の威信にかかわることでありながら、政府と国民の意思が統一されていないと他国では相手にされないからだ。
 韓国語表示板がいい例であるように、海外に居住する同胞にとって国の威信にかかわる事変が発生した際に、では同胞は何をすればいいのか、してはいけないのかがピンと来ない。
 国家としてきちんとした見解があれば問題ないが、それが疑わしい場合、それを決めるのは個々人の愛国心の温度差によって異なってしまう。
 同志が多ければ問題ないが、ビジネス本意の権謀術数の世界では、同胞といえども安心して物が言えない。まして日本人名を名乗っている在日韓国人が数多いのも海外の特徴だから、簡単に事が運べないのが普通だ」

 「この件で私が確信したことは、我々日本人は物をいわねばならぬ時に『自分の言葉でものが言えない、自分の言葉をもっていない』ということであった。
 海外に居住し、愛すべき祖国を俯瞰すると、『見えること』と『見えていないこと』に気づく。他国の感情に阿(おもね)るあまりに日本らしさ、美意識、文化を失っていくのを感じる。まさに『傍目八目(おかめはちもく)』の境地だ」

ぼやきくっくり | グアムの交番にハングル表記(撤去済み)

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これも合わせて、お読みください。フィリピンでも韓国はやっています。

フィリピンの学校に描かれていた日の丸が韓国により太極旗に書き換えられる

駄目なシステムを改良したい場合、すべてをゼロから書き換えたくなるものですが、そうするとかえって状況が悪くなることが多いというのが定説です。地味な改善をゆっくり積み重ねるように

68:名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/07/20(日) 17:59:52.51 ID:F5b/MbTcO.net

たしか移民政策が成功したのって、アメリカとシンガポールだってね
シンガポールは移民というより奴隷政策だから参考にならんけど、なんでアメリカは成功したんだ?
銃の力か?

72:名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/07/20(日) 18:01:06.31 ID:mTVNl6PB0.net

»68
アメリカは、全体が移民だからさ
質問するならインディアンに「移民を入れて良かったですか」と聞かんとな

77:名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/07/20(日) 18:05:41.32 ID:i+nflbMH0.net

»72
すげーまっとうな意見だな。