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すこし話はそれるけれど、いわゆる「殺し屋」といえば、なんだか死神さんのような顔をしていて、拳銃を手にしてズドンと放つような、どちらかというと暗い無機質な人を想像します。
けれど実際には、マフィアなどで殺し屋になるような人物は、こうした暗い陰鬱なイメージの人物とは対極にあります。

暗いということは、性格が内向的だということですが、そういうタイプの人はいきおい物事をまともに真正面から考えてしまう。
そういう人物は、殺す、あるいは殺した相手のことをあれこれと考えてしまう。
そうなると殺せないし、また殺したとしても、あとあとそのときの模様を何度も思い返して、結局は気が変になってしまう。
ですから、暗くて内向的な人というのは、まったく殺し屋さんには向かないのだそうです。

ではどういう人がマフィアの殺し屋さんになるかといえば、何も考えない、考えることをしない、今が楽しければそれでオッケーの、要するに軽薄で明るくて無頓着で外交的で無教養な人物が、なるのだそうです。
そういうタイプでなければ、昨日まで親しくしていた相手を、上の命令だからと、いきなり今日、ズドンと殺すことはできない。
なぜ殺さなければならないか、なぜ自分が選ばれたのかなどと悩んでしまうような人物では、殺し屋にはなれないのです。

暴力を振るったり、相手を怪我させたり、殺したり。
そんなだいそれたことを、だいそれたなどとはまるで考えずに平気でできる無教養さ、軽薄さ。
殺したすぐ後には、自分が殺したということすらきれいさっぱり忘れて、カネをもらったと喜んで酒を飲んで女と遊べるような、ひらたくいったらデタラメな人物、そういう人物でなければ、平気で人を殺したり、暴力をふるったりできない。

一部の支那人や朝鮮人が、平気で殺したり過激な暴力をふるったりできるのは、要するに彼らが無教養で自分のことしか考えず、またものごとを深くきちんと考えず、人の和を大切にすることや、人としていかに生きるかということを考えるという習慣をまるでもたないからです。
ひらたくいえばこうしたタイプは、極端な利己主義的人間ということで、世界にはそういう人たちもいるのだということは、私たちは冷静に知っておかなければならないと思います。

要するに、個人の殺人や暴力は、無教養と無分別から生まれます。
けれど、いくさの場では、こうした無教養、無分別な利己的人間というのは、じつは全く役に立たない。
なぜかというと、戦いの場に臨んだとき、怖がって逃げてしまうのです。
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